ゴールデンバウム王朝における最大の敗北者は誰か?

そう問われれば、大半の人はこう答えるだろう、門閥貴族達だと。

ゴールデンバウム王朝開祖ルドルフ大帝ことルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが王朝開闢に尽力した『優秀な人材』に貴族階級と特権を与え、その代わりに王朝の藩屏として守護を責務とした。

しかしながら、太祖ラインハルトの英雄譚での門閥貴族は権勢欲に塗れ、視野は狭く、見識は皆無、おまけに器も小さく、先祖の功績や家の権勢を誇る事しか能が無い、そして平民階級を『身分卑しき者』と呼んで侮蔑して彼らの命などごみほどの価値も見出さないなど、王朝守護の藩屛としての覚悟も気概も無いまさしく典型的な権力亡者として描かれる事が多い。

実際、ゴールデンバウム王朝末期の門閥貴族達はまさしくその通りの人物像、若しくはそれよりさらに酷い存在であり、権力が人間を腐らせる最悪の毒である事を示す生きた見本とも言えた。

そんな彼ら彼女らの末路は当然ながら滅亡の一本道であり、旧帝国歴四八八年、宇宙歴七九七年に勃発したゴールデンバウム王朝最大の内乱リップシュタット戦役にて敗北、多くの貴族が敗亡の片道切符を押し付けられた上で、今までの特権階級から追放される事になった。

無論であるがゴールデンバウム王朝末期においてはそう言った貴族が政治、軍部問わず帝国中央部に跋扈していたのだが、そのような傾向が色濃く表れ始めたのは意外に思われるだろうが、ゴールデンバウム王朝の滅亡のおよそ五十年前に遡る。

そのきっかけは、旧帝国歴四二六年、宇宙歴七四五年に起こった第二次ティアマト星域会戦であろう。

自由惑星同盟史上にその名を輝かせる五大英雄、通称『ペンタゴンの五英傑』(注)の一人であり帝国・同盟戦争中期最大の英雄ブルース・アッシュビー率いる同盟軍と『不逞なる叛徒共の巨魁』であるアッシュビーを討伐をめざす帝国軍との戦いは結果としては帝国軍はアッシュビーを戦死させる事に成功した。

だが、その代償はあまりに巨大なもので帝国側は前線を支えてきた宿将らを含めれば六十名以上の将官を失い、辛辣な言い方をすれば試合(アッシュビー討伐)には勝ったが勝負(第二次ティアマト会戦)には惨敗したとしか言いようがない。

この大惨敗による人材の払底を解消するため、帝国上層部は下級貴族、および平民階級からの若手将校の登用及び育成に力を注ぐ形になり、それが結果として半世紀後太祖ラインハルトを始めとするローエングラム王朝開闢の功臣達の台頭を許す土壌となると同時に、門閥貴族出身の軍人達が脈々と受け継いできた本当の意味でのゴールデンバウム王朝守護たる藩屏の気概と誇りの系譜を途絶えさせる結果を生んでしまった。

事実、第二次ティアマト会戦前とゴールデンバウム王朝最大の内乱リップシュタット戦役直前と比べると門閥貴族出身武官による民間人への暴行、略奪、殺害の比率は現在一般公開されている資料だけでも、前者を百とすれば後者の時には三百以上にまで激増、其れに反比例するように加害者が軍法会議などで処断された件に関してはこれも前者を百とすれば後者の時にはなんと二十にまで激減するという惨状からゴールデンバウム王朝末期の帝国軍の軍紀は崩壊状態であったと言わざるを得ず一例をあげれば・・・(中略)





(注)・・・『ペンタゴンの五英傑』

宇宙歴五二七年から八〇〇年まで存続した自由惑星同盟の歴史において並ぶ事なき実績と人望を打ち立てた五人の名将の総称を指す。

世間一般では以下の五名の事を指している。

自由惑星同盟とゴールデンバウム朝銀河帝国との最初の大会戦である『ダゴン星域会戦』において帝国軍の包囲殲滅戦を演じ完膚なきまでに叩きのめした『ダゴンの英傑』リン・パオ、ユースフ・トパロウル。

『七三〇年マフィア』のリーダーを務めあげ『第二次ティアマト星域会戦』で自身の死と引き換えに帝国軍に巨大すぎる損失を与え、後のローエングラム王朝開闢の土台を作り上げたと言ってもよい『時の女神に愛された男』ブルース・アッシュビー。

同盟の最期に殉じ、自由惑星同盟最後の会戦である『マル・アデッタ星域会戦』で帝国と果敢に戦い散った『自由惑星同盟の象徴』アレクサンドル・ビュコック。

そしてアレクサンドル・ビュコックと共に末期の自由惑星同盟を支え、同盟滅亡後も民主共和制存続に力を尽くし、死後、『民主共和制の守護神』として祀られるに至った五英傑筆頭の呼び声高き『不敗の魔術師』ヤン・ウェンリー。

この呼び名がいつ定着したのか不明であるが、『敗者達の英雄伝説・・・光に呑まれた人々』でも引用されていた事から、宇宙歴八五一年には完全に定着していた所から推察するに、自由惑星同盟滅亡直後から呼ばれていた可能性が高い。

おそらくは自由惑星同盟の国旗に描かれた五角形と彼ら五人を重ね合わせたのだろう。





・・・と、このように腐敗、崩壊を通り越して完全に風化したとも思わせる門閥貴族軍人のとしての気概であるが完全に滅んだ訳でもなかった。

極めて少数ながらゴールデンバウム王朝を守護せんとする気骨と能力を兼ね備えた貴族軍人は存在していた。

その中でも最も有名な人物は、ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ、アーダベルト・フォン・ファーレンハイトこの両名が挙げられる。

共にリップシュタット戦役では連合軍側に参戦しラインハルト陣営に戦いを挑んだのだが、前者はリップシュタット戦役後、自由惑星同盟へと亡命その後はヤン・ウェンリーと共に民主共和制守護の為に戦い続け、ゴールデンバウム王朝の宿将と言うよりは、『ヤン・ファミリー』の一員としての名声の方が高く、後者は同戦役後に太祖ラインハルトの臣下に加わり、ローエングラム王朝開闢を支えた『獅子の友(レーベェン・フロイスト)』(注)の一人としての方が有名であり、ゴールデンバウム王朝の貴族軍人としての側面は色褪せている。

それに加えて貴族軍人とはいえ、両名共に下級貴族出身、特にファーレンハイトに関しては本人が『食う為に軍人となった』と豪語するほどの日々の生活にも困窮するほどであり、彼らを門閥貴族と一括りとするにはあまりにも無理がある。

ではそれ以外の貴族層の軍人はと言われれば、お世辞にも優れた軍人は存在しなかった。

リップシュタット連合軍の実戦部隊はメルカッツ、ファーレンハイト両名によって支えられており、その他はまさしく有象無象の集団と呼んで差し支えなかった。

例えばリップシュタット戦役初戦である、アルテナ星域会戦においてウォルフガング・ミッターマイヤーと交戦し惨敗を喫したライナー・フォン・シュターデン、彼は理論こそ豊富であり、それに基づく組織運営や、参謀においては高い評価を受けていたが、実戦指揮官としては理論と現実を並べた時には理論を優先するという悪癖が存在した。

その為に先に記述したアルテナ星域での敗因に繋がり、その後、捕虜となり、戦役後裁判を経て軍の階級はそのまま残ったが、財産、領地は没収、さらに閑職に回され、そこで退役まで過ごし、晩年はおこぼれで残された旧帝都オーディンの片田舎の小さな別荘に身を潜める様な生活を過ごし、数年後、睡眠薬の過剰摂取により死亡している。

また、太祖ラインハルトの英雄譚で必ずと言って良いほど登場する腐敗した門閥貴族の象徴とも呼ばれるアルフレート・フォン・フレーゲル、彼に関してはまさしく論外であり、叔父であり、リップシュタット連合軍盟主のブラウンシュヴァイク公の甥と言う立場しか取り柄が無く、軍人としての資質も覚悟も待ち合わせておらず、ただ叔父の威光を笠に着る狐・・・否、鼠と言った人物であった。

その最期も部下全てを道連れとした自決をしようした挙句に拒否されて逆に射殺されるというみじめなものであったが、部下の一人であるレオポルド・シューマッハが彼を宇宙葬に処したという。

尚、ゴールデンバウム王朝における事実上最後の帝国軍三長官と呼ばれる軍務尚書エッカルト・フォン・エーレンベルク、統帥本部総長、アーデルベルト・フォン・シュタインホフ、宇宙艦隊司令長官グレゴール・フォン・ミュッケンベルガーの三元帥に関してはいささか判断に苦しむ所がある。

この三名に関しては門閥貴族出身の貴族軍人であり、ゴールデンバウム王朝末期の貴族軍人としては藩屏としての気質は持っていたものの、軍の最高司令官としての立場故、中立の立場を固辞し続け、リップシュタット戦役時は前者二名はラインハルト陣営によって拘束、リップシュタット戦役後に退役、後者に関しては前年軍を退役し権力闘争から完全に身を引いていた事もあり完全に蚊帳の外と言う扱いを受けていた。

しかし、太祖ラインハルト崩御後、彼らは皇太后兼摂政ヒルデガルドの要請に応じオーディン、フェザーンに新設された士官学校の校長に就任、ローエングラム王朝の未来を担う人材の育成に多大なる辣腕を振るう事になったが、それは・・・(中略)





(注)・・・『獅子の友(レーヴェン・フロイスト)』

ローエングラム王朝太祖ラインハルト・フォン・ローエングラムの覇道を助け、王朝開闢に多大な功績を成した功臣達の総称を指す。

一般的にはウォルフガング・ミッターマイヤー、ナイトハルト・ミュラー、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト、アウグスト・ザムエル・ワーレン、エルネスト・メックリンガー、エムンスト・フォン・アイゼナッハ、ウルリッヒ・ケスラー『獅子の泉(ルーヴェン・ブルン)の七元帥』に加え、王朝開闢に尽力し道半ばで斃れたジークフリード・キルヒアイス、カール・グスタフ・ケンプ、ヘルムート・レンネンカンプ、アーダベルト・フォン・ファーレンハイト、カール・ロベルト・シュタインメッツ、コルネリアス・ルッツ、オスカー・フォン・ロイエンタール、パウル・フォン・オーベルシュタインら武官達を指していたが、近年ではローエングラム王朝開闢時を内政面で支えた初代民生尚書カール・ブラッケ、同じく初代財政尚書オイゲン・リヒター、初代工部尚書、ブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒを筆頭とした文官勢、そして皇太后兼摂政として第二代皇帝アレクサンドル・ジークフリード帝が成人するまでの間、国政を担ったヒルデガルド・フォン・ローエングラム、彼女を助け、ローエングラム王朝における新たな貴族制度を確立させた大公妃アンネローゼ・フォン・グリュネーワルトとマグダレーナ・フォン・ヴェストバーレ(メックリンガー夫人でもあるが、夫妻の意思で夫婦別姓を選択した。夫婦仲は極めて良好であり、一男、一女に恵まれた)ら女性陣を含む場合もある。





・・・こうして門閥貴族の腐敗は、もはや自浄不可能な領域にまで達しておりゴールデンバウム王朝は自壊を始めている事は誰の眼にも明らかであったが、それでも完全な崩壊にまで至らなかったのは一つには外敵(帝国側は断固として認めなかったが)である自由惑星同盟の存在、そしてルドルフ開闢から五〇〇年近く続くゴールデンバウム王朝の基盤が未だ強固であるが故である。

だが裏を返せばそれは、もはや死に体にすぎぬ老人(王朝)を無理やりな延命処置によって生かされているに過ぎず、それが通用するのも時間の問題であると言えた。

そんな延命処置が通用しなくなった時こそがゴールデンバウム王朝の最期であるとも言えたであろう。

その時に彗星のごとく台頭したのがラインハルト・フォン・ミューゼル(当時)であった。

彼は己の才覚と腹心であるジークフリード・キルヒアイスのみを頼りに急速に力をつけ最終的にはゴールデンバウム王朝の命脈を断つほどにまで成長していった。

だが、この当時はまだ門閥貴族は彼の存在を軽視、または蔑視し、陰で『金髪の孺子』と罵声を浴びせていた。

理由としてはやはりラインハルトが貴族どころか平民階級から見ても貧困状態であった帝国騎士(ライヒ・リッター)出であった事、そして姉、アンネローゼが当時の皇帝フリードリヒ四世の寵姫に収まっていたが故だった。

門閥貴族達は『身分の差も己の身の程もわきまえぬ生意気な若造』と前者の理由で罵倒し、『姉の七光りで出世出来ただけの幸運な孺子』と、後者の理由で陰口を叩いた。

しかし、それも彼がローエングラム伯爵家の継承、帝国最年少の元帥昇進、宇宙艦隊司令長官就任に侯爵へと昇格と帝国内に置ける立場を目まぐるしい速度で強化するに従い嘲り、侮りは憤り、焦りへと変化していき、当時の国務省書クラウス・フォン・リヒテンラーデと共にフリードリヒ四世崩御後には後継エルウィン・ヨーゼフ二世の後見人として国政に関与する段階となった事でそれは遂に爆発、『ゴールデンバウム王朝を不逞なる者から守護する』と言う名目で盟主ブラウンシュヴァイク公オットー、副盟主リッテンハイム侯ウィルヘルムを中心としてリップシュタット連合軍を結成、帝国の覇権を賭けた内乱リップシュタット戦役が勃発、門閥貴族は見るも無残な敗北を喫した。

リップシュタット連合に参加した貴族は実に三七四〇名に上ったが、この内、内乱勃発前に捕縛された貴族は一〇三五名、内乱で死亡したのは盟主、副盟主を含めて一七〇一名にも及んだ。

残る、一〇〇四名の内、フェザーンや、自由惑星同盟に亡命出来たのは百名程、残りは全てラインハルト陣営に捕縛、その後降伏した。

死亡した貴族達はそこで終わるが、生き残った貴族達にとってはそこからが苦難と絶望の始まりだった。

内乱終結後、太祖ラインハルトはリップシュタット連合に参画した貴族達の領地、財産をすべて没収した。

爵位こそ現状維持とされたが、領地も財産も失った今の貴族達には何の足しにもならなかった。

しかし、そんな中でも中立などを宣言していた貴族や、連合軍に参画していたが、もとより領地も財産も無い身軽な下級貴族の中には商売などの事業を行っていた者も相当数存在しており、そのほとんどは経営は安定していた為、彼らは安泰かと思われていたが、その大半は内乱後、三年から五年ほどで経営は大きく傾き倒産の憂き目にあっている。

調査した結果判明したが、経営が安定していると言ってもそれは貴族特権に物を言わせた殿様商売であって、取引先や下請けにリスクを押し付け自分達はその利益だけを貪っていただけに過ぎなかった。

であるならば特権が無くなれば、彼らが生き残れる術はある筈もなく、次々と苛烈な競争世界の中で脱落を余儀なくされた。

現に、リップシュタット戦役終結時点で五百近く存在した貴族経営の事業がその五年後、新帝国歴四年には一割以下の四三、更に三年後の新帝国歴七年には僅か三にまで激減した事からも本物の事業者がいなかったのかがよくわかる。

しかし、その中で生き残った三は大なり小なりローエングラム王朝ないし全銀河に多大な貢献を果たしている。

その中でも最も巨大な貢献を成したものと言えば新帝国歴一〇年からの半世紀に渡り行われた全銀河系航路整備計画に参画し、その土台を工部省より分離新設された運輸省の初代尚書に軍の退役と同時に就任したエムンスト・フォン・アイゼナッハ元帥と共に作り上げたカーンホールディングス代表、ベルンハルト・カーン(旧名ベルンハルト・フォン・バーナー)であろう。

その他にも、新帝国歴一年から五一年の半世紀活動した旧門閥貴族による被害者救済の為に設立されたNGO団体『黄金樹の贖罪』の代表であり、自らも介護、福祉事業を手広く広げ、全宇宙の介護、福祉水準を上昇させた女性実業家フィリーネ・ヘーデル(旧名フィリーネ・フォン・パーゼマン)、新領土(ノイエ・ラント)の教育水準を目の当たりに事で帝国本土との教育格差に愕然としながらも、その是正に生涯を賭したマーカス・フォン・ヘルダー(彼のみは特殊な立場で元々は銀河帝国正統政府で司法尚書の座にあったが、その後、捕縛されるも、太祖ラインハルト崩御後、恩赦の対象として釈放され、その後は実業家に転身して成功を収めた)の二人もローエングラム王朝黎明期において内政面で多大な貢献を成している。

また、貴族の時代に見切りをつけた者、あるいは元々貴族制度に嫌気がさしていたが、しがらみによって抜け出る事が出来ずにいたがこの機会に貴族社会からの脱却を図った者が多数現れた。

彼ら彼女らは、貴族の証であるフォンの称号を捨て一平民として人生をやり直す決意を固め、ほぼ全員が平民として平凡かつささやかであるが、幸福な生涯を全うした。

太祖ラインハルトも自分に反旗を翻す事も無く静かに生きていくならば事を荒立てる気も無かったのか、生活一時金と新たな性を与え、職場の斡旋も国を挙げて行い、彼らの再出発を積極的に協力した。

このお陰で貴族階級からの脱却を図ろうとした者は全て成功している。

更に太祖ラインハルトは自分に味方した貴族に関する情報をリップシュタット戦役終結後から公開して彼らを擁護、また、前年、同盟の帝国領侵攻作戦による焦土作戦で深い傷を負った辺境惑星に関しては門閥貴族から没収した財産の一割に相当する分を配分して辺境開発金として計上分配を行い、加えて領民の生活水準と教育水準の向上計画の立案を指示。

しかし、これに関してはその後、銀河帝国正統政府発足が宣言された事に端を発した二度の『神々の黄昏(ラグナロック)』作戦による親征、『新領土(ノイエ・ラント)』における動乱の数々で優先順位が下になり、官僚が消極的である事に加えて任せられるに足りる人材の不足もあってマーカス・フォン・ヘルダーの登場まで計画すら立案できぬ状況が続き、ようやく第一次計画が動き出したのは新帝国歴九年の事だった。

尚、貴族階級の再出発などの施策は太祖ラインハルトと言うよりは、彼の首席秘書官に就任したばかりのヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ(当時)の進言によるものだったと言うがその真相は現時点を持っても不明である。

このように次々と新たな時代を見据え、新たな道を歩み始めた貴族もいたが、其れもごく一部にすぎず、大半の貴族はかつての地位と特権、そして栄光を忘れる事が出来ず、再び自分達の時代が戻って来ると信じて疑わなかった者、若しくは新しい時代についていけれない者等理由は様々であったが、新時代から眼を背け続けていた。

だが、この当時の進み始めた者も立ち止まった者も誰も予想すらしていなかったに違いない。

旧帝国歴四八八年、九月のリップシュタット戦役終結から、翌年旧帝国歴四八九年、八月の銀河帝国正統政府発足宣言。

この僅か十一ヶ月の間に行動したかしなかったのかが、自分たちの運命を大きく分ける事になったなど。





銀河帝国正統政府発足宣言及び、間髪を入れずに太祖ラインハルトから発せられた正統政府及び自由惑星同盟への宣戦布告が発せられると同時に、帝国首脳部内でささやかれた言葉がある。

『一億人・一〇〇万隻体制』がそれである。

この言葉から見ても帝国側が本気であることが容易に見て取れるだろう。

それに前後して『門閥貴族どもの残党を倒せ!奴らの復活を許すな!平民の権利を守れ!』、『自由惑星同盟などと呼称する門閥貴族どもの共犯者を倒せ!』

この二つは平民階級から叫ばれた言葉であるが、この言葉から見ても門閥貴族の復活とその専横が復活する事に誰よりも恐怖していたことは容易に知れる。

そんな門閥貴族に与していた者達が身近にいたとなればどうなるのか?

子供でも予想がつくと言うものだろう。

リップシュタット戦役終結後から貴族達は平民達から徹底的に監視を受けていたが、そこに有形無形あらゆる迫害が加わった。

最初こそ直接的な迫害・・・暴行、窃盗、殺人さらには住居への不法侵入、更には放火と挙げていけばきりがないが多数の貴族及びその家族が犠牲にあった。

流石にこれは犯罪であるため官憲や、重大案件であれば憲兵隊をも動員して検挙していくと今度は陰湿な迫害が始まった。

まず物を売らない、職場で陰湿な嫌がらせを集団で行い、退職に追い込む、突然不当なレベルでの家賃の値上げによって住む家すら追い出される等後年になって発覚したそれは陰湿極めりないものだった。

だが、訴えようにも、当時の帝国は打倒帝国正統政府、打倒自由惑星同盟の機運が高まり、役所ですら相手にされず、酷い時には門前払いにまでされた。

奇しくもこの光景は二年前、旧帝国歴四八七年、宇宙歴七九六年に同盟でも見られた。

ヤン・ウェンリーが味方の犠牲を一人たりとも出す事無くイゼルローン要塞を陥落させ、その余勢を駆って、帝国領への侵攻を企てた時だ。

慎重論、反対論を唱えた人々は帝国打倒の千載一遇の好機と言う熱病に浮かされた大多数の民衆による徹底的なバッシングを受け沈黙せざるおえなくなった。

現実を見る事無く熱病に浮かされた暴走の結果はあえなく侵攻失敗、大惨敗と言う現実にようやく目が覚めた民衆の前に差し出された結果は二000万の戦死、行方不明と言う愕然たるものだった。

余談を終わらせて、こうして働く場所や住む場所を奪われ、食糧も売ってもらえず、一時的な生活保護金も詐欺同然の手法で奪われ、追い詰められていった旧門閥貴族達であったが、周囲は何処までも彼らに冷酷極まりなかった。

『一人の貴族が死んで一万人の平民が救われるのであればそれが予にとっての正義だ。餓死するのが嫌なら働け。平民達は五〇〇年そうしてきたのだからな』

これは貴族達の窮状を聞いた時に発せられた太祖ラインハルトの言葉である。

この言葉は彼の気質と旧門閥貴族に対する怒りを如実に表したものとして有名であるが、それは同時に旧門閥貴族達がどのような状況に置かれているのかを本当の意味で理解していなかった事への証左でもあった。

いや、彼だけではない。当時のローエングラム王朝の首脳部は皆太祖ラインハルトの眩いほどの輝きに目を奪われ、足元に注意を向けるものは誰もいなかった。

足元の影がどれだけ深く暗い闇が生まれているのかを見えていなかった。

その事を思い知る事になったのは太祖ラインハルト崩御の翌年、新帝国歴四年だった。

事の発端は太祖崩御後、内政体制の一新の為、帝国領土の自治改正を行い、旧帝都オーディンを帝国本土統括星、新領土統括惑星にはウルヴァシーを指定し、その二つが帝国本土、新領土の統治を行い、フェザーンの帝国政府が中央統括する形になり、その一環としてオーディン、ウルヴァシーの調査をした所、オーディンにて大規模なスラム街が形成されている事が判明した事から始まった。

その報を聞きすぐに調査団が派遣されたがその後、現地からもたらされた報告は首脳陣を打ちのめすのに十分なものだった。

調査員からの報告でそのスラム街は旧門閥貴族の面々が住んでいたのだが、誰も彼も希望も何もなく絶望に打ちひしがれ、調査団が訪れるとそのスラム街の代表とも追われる老人から『何の御用でしょうか?私達は全てを失いました。働く事も出来ず生活費も奪われ尽くされた私達からこれ以上何を奪うというのでしょうか?いっその事我々を殺して下さい。もう解放して下さい』と懇願したという。

そんな事を男女問わず老人から子供まで希った事に調査団は恐怖すら感じ、一言一句違える事も無く、フェザーンに報告を上げた。

もしもこれが五年前までの傲慢に満ちた命令であれば調査団も怒りの感情を抱きながら黙殺したであろうが、彼らの言葉には生きている事への絶望と悲嘆が詰まっていたと報告には綴られていた。

そんな得体のしれぬ恐怖をフェザーンの中央政府も共有したのか、救援物資の準備を整え、同時進行で国務尚書マリーンドルフ伯に詳しい調査を命令、その結果彼らは人として生きる事のほとんど平民達から強奪され否定されこれほどの窮状に追い込まれていた事がほどなく判明した。

年若い妻や妙齢の令嬢のいる貴族達は彼女達を娼婦として働いていた事でかろうじて日々の糧を得ていたがそのほかは生ごみから残飯をあさり、雨水や泥水を啜りながらようやく生き永らえていたという。

しかし、それでは体の弱い女性や子供などはすぐに病気にかかり次々と病死していく。

しかもそれに追い打ちをかける様に時折、暴徒がスラム街に襲撃を仕掛け、彼らに暴行を働き、去って行った後には瀕死の重傷を負った多数の貴族達の姿があった。

病院に行こうにも病院側も拒否、その結果助けられる命の多くが失われる事になった。

しかも、埋葬しようにも埋葬するための金銭すらも彼らにはなく、彼らの遺体は全てスラム街の一角に無造作に積み上げられており、衛生状況は最悪の一言だったと言う。

結局スラム街の住民だった旧貴族達は全て強制収容され、その後の消息に関して、帝国政府は未だに沈黙を守り続けている。

そしてスラム街は徹底的に破壊、遺体はその場で焼却処分、遺骨となったそれは回収される事になった。

尚・・・リップシュタット連合軍盟主ブラウンシュヴァイク公夫人アマーリエ、同令嬢エリザベート、そして副盟主リッテンハイム候夫人クリスティーヌ、同令嬢サビーネ。

そして事実上のゴールデンバウム王朝最後の皇帝であるエルウィン・ヨーゼフ二世、ゴールデンバウム王朝皇族である彼ら、彼女らの消息に関しては新帝国歴五三年、宇宙歴八五一年現在、未だ不明である。

(『敗者達の英雄伝説・・・光に呑まれた人々』第一節ゴールデンバウム王朝編第一章より抜粋)





『敗者達の英雄伝説・・・光に呑まれた人々』ではかなり省略されて述べられていたが、この旧門閥貴族達のその後については帝国政府が機密文書として残されていた。

しかし、この一件に関しては帝国の威信と言うよりは未だ強すぎる太祖ラインハルトの威光に陶酔する圧倒的多数の帝国民の反発を考慮してS級機密文書として一〇〇年間の非公開とされていた。

それ故に一介の教授では閲覧する事は出来なかっただろうし、仮に閲覧出来たとして書き記す事は出来なかっただろう。

これによると、生き残った旧貴族達は健康状態から早急な治療が必要な者は、オーディン各地の国立病院に最優先で入院、その他は救護施設に入居させ栄養、衛生面の改善を図った後に子供達は教育機関で十分な教育を受けさせ、大人達の中で希望者には職業訓練を行い社会復帰を後押しした。

特に今まで娼婦としての就労を余儀なくされた女性達に関しては皇太后ヒルデガルドの厳命で同性の医師、看護師による性病などの肉体面と、PTSDなどの精神面のケアを特に念入りに行われた。

これらの措置により保護された旧貴族達の七割近くが社会復帰に成功、その後は一平民として名前は無論の事、戸籍もすべて書き換えられて完全な別人としてその後の人生を全うした。

だが、死病などで手の施しようの無いものはどうする事も出来ず、安楽死させた後にオーディンにある帝国・同盟戦争の犠牲者達を弔う慰霊碑に極秘裏に埋葬する事になった。

皇太后ヒルデガルドはこれらの件については公的私的な発言は一切していないが、その後のローエングラム王朝は生活弱者の社会復帰などの福祉政策の充足を至上命題として執り行うようにと皇太后ヒルデガルドが遺言にしたためている。事から彼女の答えなのだろうと推察される。

そしてアマーリエ・フォン・ブラウンシュヴァイク、エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイク、クリスティーヌ・フォン・リッテンハイム、サビーネ・フォン・リッテンハイム、この二組の母娘の消息に関しても公式文書が残されていた。

これによると、アマーリエ・フォン・ブラウンシュヴァイク、エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイク母娘はガイエスブルグ要塞陥落寸前、ブラウンシュヴァイク公最後の忠臣、オットー・アンスバッハの差配で彼の配下と共に極秘裏に要塞を脱出、その後は旧ブラウンシュヴァイク領の中でも最もブラウンシュヴァイク家への忠義篤い村に表向きは、『ブラウンシュヴァイク家の遠縁の母娘』として匿われる事になった。

村人達は無論だが厚遇をもって報いたが、それはあくまでも平民基準でのこと、およそ皇族であり、公爵母娘には似つかわしくない質素としたものであったが、自分達の立場を理解していたのか彼女達は表立って不平不満を漏らす事も無く静かに暮らしていた。

だが、そのささやかな平穏は一年も経たずに終焉を迎える事になる。

銀河帝国正統政府発足宣言と太祖ラインハルトの布告により平民階級の旧門閥貴族に対する憎悪を感じ取った護衛は己が保身の為、彼女達の正体を村人にばらし、その身柄を太祖ラインハルトに引き渡す事を提案した。

(リップシュタット戦役後、パウル・フォン・オーベルシュタイン主導の元彼女達の身柄には懸賞金がかけられていた)

一端はそれでまとまりかけたのだが、別の欲望に突き動かされた村人の提案によって大きくねじ曲がった。

四〇手前とはいえ女として成熟した大貴族の夫人と一八歳の貴族令嬢。

そのような女性と縁のない村人、殊に男連中にとってそれははある意味金銭よりも魅力的に映ったのだろう。

その提案は村人達に受け入れられた。

こうして母娘はその日を境に村によって監禁されて生活する事になった。

その間どのような待遇をもって迎えられたのか?

それに関しては公式文書は沈黙を守っているが大体の予想はつく。

結局、この監禁生活は新帝国歴三年末まで続く事になり、わずかな隙を見計らい逃亡しようとした母娘は、露見を恐れた村人の手によって殺害され、遺体は近隣の森林に遺棄されるという悲惨な結末を迎えたのだった。

こうしてこの一件は闇に葬り去られること思われたのだが、翌年の内政改革の流れで旧ブラウンシュヴァイク領に戸籍調査が入ったのだが、其れを勘違いした村人の一人が自白した事で一連の事態が明るみになった。

即刻本格的な捜査が始まり村人達の事情聴取とブラウンシュヴァイク母娘の捜索が同時進行で行われた。

前者に関しては完全に観念した村人達の協力的な態度でさしたる問題も無かったが、後者に関しては何一つ発見する事は出来なかった。

供述によれば、適当な所に投げ捨てたとの事らしく野生の獣が餌として食い尽くしたのだろうという事になり捜索は打ち切られた。

結局、村に残されていた指輪が彼女達の遺品として押収され、オーディンの公共墓地の一角にひっそりと埋葬される事になり、事が事なので事実を公にする事も叶わず村人達は身元不明の母娘に対する監禁・暴行・殺人罪で起訴、その行いにふさわしい処断を下される事になった。

それに前後してクリスティーヌ・フォン・リッテンハイム、サビーネ・フォン・リッテンハイム母娘の消息に関する報告も上層部にもたらされた。

事が発覚したきっかけは新帝国歴四年、太祖ラインハルト崩御後、治安維持のタガが緩んだのか帝国本土を中心として宇宙海賊の活動が活発化、民間商船に多数の被害が出た事に憂慮した帝国軍は軍務尚書ウォルフガング・ミッターマイヤー首席元帥、統帥本部総長エルネスト・メックリンガー元帥、宇宙艦隊司令長官アウグスト・ザムエル・ワーレン元帥が中心になって宇宙海賊の一斉討伐作戦を実施、新領土(ノイエ・ラント)ではフォルカー・アクセル・フォン。ビューロー上級大将が、被害の大きな帝国本土側は後方総司令官の任に就いたエムンスト・フォン・アイゼナッハ元帥が陣頭指揮を執ってそれぞれに作戦を遂行、この作戦で宇宙海賊の七割を討伐ないし、拿捕する事に成功したのだが、拿捕した海賊船の一隻がゴールデンバウム王朝時代に建造された巡洋艦であったことが判明した。

軍艦を海賊船として改装する、それ自体は珍しい事ではなく、当初はゴールデンバウム王朝末期の混乱に乗じて闇ルートで横流しされたか、戦場で破棄されたそれを海賊達が拿捕、修復して再利用しているのかと思われたのだが、その艦のロットナンバーを確認、調査した所、それがリップシュタット戦役時にリッテンハイム艦隊に所属後キフォイザー星域会戦でキルヒアイス艦隊と戦闘後、戦場から離脱消息を絶った艦だという事が判明した。

軍に戻るに戻れず宇宙海賊に身を窶していたのかと呆れ交じりの感想を抱かれながら取り調べが進んだのだが、そのうちの一人が驚くべき事を供述した。

『リッテンハイム母娘を拉致監禁した後双方ともに殺害した』のだと。

供述によると、リッテンハイム母娘はガルミッシュ要塞にてリッテンハイム候が部下の叛乱によって爆殺された直後、数少ない家臣と共に同要塞を脱出、一端ガイエスブルグ要塞へと帰還を目指していたそうなのだが、その時不幸極まりない事に彼らと遭遇、味方であったと知れるや安堵して招かれるがままにその巡洋艦に乗り込んでしまった。

(脱出した際乗り込んだのが武装が極めて乏しい貴人専用の武装客船であったので、それも止む無しであったのだろう)

しかしそこで待ち構えていたの乗務員により家臣達は皆殺しに会い、母娘は乗務員専用の玩具としてそれから半年余り扱われ、最後は生きたまま核融合炉に叩き込まれ、遺体も遺骨も遺品すらも残す事無くこの世を去った。

なぜそうしたのかと言う捜査員の質問に、

『キフォイザーでリッテンハイムは・・・あのくずは俺達を見捨てた。あまつさえ輸送船団を吹き飛ばして逃げた。あそこには友がいた、弟が兄が息子が父がいた。だからその恨みを怒りを全てあの母娘にぶつけた』との事だった。

結局、彼らはリッテンハイム母娘殺害に関する裁判は行われる事なく、軍人でありながら海賊に身を窶し民間人への略奪暴行殺害に及んだ罪により軍法会議にかけられ、銃殺刑に処された。

そして悲劇的な最期を迎えた二組の母娘に関しては、こちらも太祖ラインハルトの威光の影響力を鑑みてやはりS級機密文書として一〇〇年の非公開処置がとられる事になったのだった。

尚・・・ゴールデンバウム王朝最後の皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世に関しては現在においてもその消息は不明のままである。

(『時代に翻弄された名著達』・・・『敗者達の英雄伝説・・・光に呑まれた人々』編一章から)

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